1.部活動〜私とバドミントン
それは、バドミントン(・ω・)ノ
16年前の春
〝 運動部に入りたい〟
ただ漠然とそう思っていた。
バスケは苦手だったし、ソフトボールは難しそう。バレーボールは手首が痛くなりそうだ。
テニスとバドミントンは面白そう。
どっちに入ろうかな。
中学の部活動には、仮入部があった。
仮入部期間中は、どの部活動に参加しても良かった。実際に部活動に参加して、どのように活動しているのか知ることができた。
私は、テニス部とバドミントン部に仮入部した。実際に参加してみて、両方とも面白かった。正直、どちらかを選ぶことなんてできない‼︎
テニス部もバドミントン部も、大会に出場していた。大会に出場するには、ユニホームが必要である。私は、そのユニホームをみて、バドミントン部に入部することに決めた。
理由は、テニス部のユニホームがスコートだったのに対し、バドミントン部のユニホームは短パンだったから。
ただ、それだけ。
バドミントン部の部員は、すごく多かった。1年生だけでも30人近くいたのだ。2年生、3年生と合わせたら、50人近くいたのではないだろうか…。そんなたくさん部員がいると、当然体育館には入りきらない。何故なら、放課後の部活動は、だいたいバレーボール部と半分にして使っていたからだ。
体育館の半分で使えるコートは2面。
いや、入りきらない。
1年生は、廊下でシャトル拾いからスタート。シャトルを床に置き、コルク部分を自分の方に向け、ラケットで拾う。簡単そうにみえて、これがなかなか難しい。とりあえず、コレ。
それができるようになると、今度は素振りを教えてもらえる。そして、シャトル拾いと素振り。
素振りがいい感じになってくると、舞台の上や体育館の隅でタオルを吊るし、それを打つ練習。顧問の先生や先輩たちに素振りをみてもらえる。
こうして、少しづつレベルアップしていき、夏休みに入ると体育館全面使えたり、1日中使えたりする日が多いので、1年生も体育館で練習させてもらえる。
ランニング、準備体操、ダッシュ、ステップ
1年生にとっては、結構キツイ。
体育館に入れるようになったら、すぐにコートで打たせてもらえると思っていたが、違った。
ダッシュとか、ステップとか…
それが終わるとようやく打てる。
基礎打ち。
先輩たちは、バシバシ打ってて凄い‼︎私たちは、当然なのだが、全くダメ。まぁ、なんとか打てるレベルで、とても基礎打ちとは言えない。
基礎打ちが終わったら…何してたかな?ゲーム練?1年生の頃の部活の練習風景は、正直あまり覚えていない。後々、印象が薄くなっていったのだろう。
ただ、顧問の先生は優しかった。
冬になると、1年生大会が毎年開催される。これが、大会のデビュー戦。みんなでユニホームを決め、たくさん練習し、凄く楽しみにしていた。
練習中に、捻挫してしまった。
初めての捻挫だったので、きちんと治したほうが良いと顧問の先生に言われ、部活が終わってから、近くの整骨院に行った。整骨院の先生も、きちんと治したほうが良いと言っていた。たかが捻挫であるが、足を固定され、しばらく運動は控えるように言われた。
1年生大会に出場できなくなった。
悔しかったが仕方ない。自分が悪いのだ。
1年生大会が終わった頃、4月から新しい顧問の先生がくると言われた。新しい先生は、バドミントンをずっとやってきた人なので、たくさん教えてもらえる、そう言われた。2年生になるのが凄く楽しみになった。
4月から、新しい顧問の先生がやってきた。割と若い印象だったが、ヒゲが……
その先生は、とても厳しかった。とても怖かった。部員はみるみる減っていき、30人近くいたはずが、15人くらいまで割と一気に減った。
先生の指導は、凄くスパルタで厳しい。根性のない人は続かない、やる気のない人は続かない、そんな指導だった。
新しい先生は、とても厳しかったから、愚痴だって言いたくなる。そんなときは、以前からいる顧問の先生と話をする。その先生は優しいから、みんなで練習の愚痴をこぼしたりした。
練習内容は、きちんとしていた。全てに理由があった。今までやってたもので、あまり意味がないと判断された練習メニューは消えた。代わりに、やった方が良いものはたくさん追加された。
準備運動や素振り、フットワークが重要なものだということを教わった。夏休みに体育館全面使えて、朝から夕方までみっちり練習できる日は、お昼頃までシャトルを打たない日もあった程だ。
フットワークがしっかりしていれば、まず、捻挫することはないのだそうだ。私が捻挫したときも、フットワークが使えていなかったことが原因だった。
あとは、靴。
踝が見えているスニーカーだと、捻挫のリスクは高くなり、踝が隠れるスニーカーだと捻挫のリスクは低くなるのだとか。
靴は、凄く重要なものなのだと知った。
練習は、凄く厳しかったけど、凄く楽しかった。
基礎打ち、ノック、パターンノック
ゲーム練はそんなにたくさんはやらなかったけど、練習試合はたくさんあった。
基本、褒められることはない。ダメ出しばかりで心が折れそうになる。しかし、それがゲームの中で出来るようになると、
〝そうだよ!それだよ‼︎〟
と叫んでくれる。これは、嬉しかった。
〝もっと上手くなりたい‼︎〟
そう思った。
1年生大会に出場することはできなかったが、2年生になって初めての大会、秋の新人戦だったかな?これでは、女子シングルスで準優勝することができた。銀メダルだ。
母も凄く喜んでくれた。
厳しい練習に耐え、頑張ってきた甲斐があった。
それから、3年生の引退試合までの全ての大会にシングルスで出場し、
成績は全て準優勝、第2位、銀メダル
一度も3位以下になったことはなかったが、1位になることもできなかった。
何事にも飽きっぽく、何をやっても続かない私が、3年間も一つのことを続けられたのは、初めてのことだった。
中学を卒業する頃、色々な人に
〝高校行ってもバドミントン続けるの?〟
と聞かれた。
〝続けないと思います〟
と答えた。
バドミントンは楽しかったが、
3年間厳しい練習に耐えてきた
というところで、
もう、いいや
と、思ってしまったのだ。
〜つづく〜